ほとんどの日本人が日々の食卓で当たり前のように使う食の道具「お箸」。料理を掴み、口に運ぶこの道具のことを深く考えることは少ないかと思います。わたしたちもつい最近まで、どんなお箸でも気に留めることなく使っていましたが、ある出会いをきっかけに、このお箸も、日々の食を美味しく豊かなにするための大切な要素だということに気づかされました。そのお箸の名前は「五稜箸(ごりょうばし)」。地域の面積の大半が杉の森林である、徳島県那賀町の木頭という地域で作られています。この小さなお箸に込められた、地元の山々を地域の共通財産として未来に残すという、作り手の大きな想いを取材しました。
杉の芯材で作られるお箸
五稜箸は、「木頭杉」と呼ばれる杉の「芯材」と呼ばれる部分を使って作られます。杉を輪切りにすると、外側にある白身「辺材」と、内側にある赤身「芯材」が見られます。白い辺材は割り箸の材料として良く使われますが、油分がほとんどなく、一度使うと食べ物の色が付いてしまうので、繰り返しの使用には適しません。対して赤身の芯材は、油分が豊富で、抗菌性が強いので、繰り返し使うことができます。ただしお箸にしたときに十分な強度をもつ芯材は非常に稀です。
木頭杉の特徴は、芯材と呼ばれる赤身の部分が非常に美しいことから「阿波の三部板」と呼ばれ、奈良、平安時代から高級な木材として、京都下鴨神社や、大阪城の建城にも使われたことが文献にも記述されています。「杉は人の生活にとてもよく馴染む木として知られ、家や家具、食器など、私たちの暮らしのいたるところに取り入れられています。日本人に穏やかな気質の人が多いのは、周りを杉に囲まれているからじゃないかと思います」と、五稜箸を作る株式会社WOODHEADで働く松本さんは言います。松本さんは車で片道100km以上ある木頭と徳島市内を頻繁に行き来して、車の走行距離が5年で30万キロを越えたことがあるそうです。
お箸づくりの背景
五稜箸が作られる木頭と、那賀町は森林面積が地域の90%ほど。その広大な森林に生える木のほとんどは杉です。これは木頭杉に高い需要があったとき、元々生えていた雑木林を伐採して植えられたものです。杉を植えた人々は自分たちの子孫に財産を残すつもりで植えていましたが、今はその杉が地域に害を与える問題の種になっています。
外国産の木材を安値で入手できるようになった今日、木頭杉の需要は減少の一途をたどり、成長し過ぎて伐採の充実期を迎えた杉が、山肌へ入る日光を遮り、土壌が保水性を失い、各地で土砂崩れや倒木が発生しているのです。一度倒木が起きると、木々が複雑に絡み合っているため整備することが非常に難しくなり、放置するしかなくなるそうです。そうやって川に流れ込んだ土砂や木が川床を押し上げ、台風や大雨のときに下流の家屋を浸水させるなどの水害が毎年にように起こっていると、松本さんは悲しそうに話します。
この木頭杉をこのまま地域の負債にするのではなく、有効活用しながら山を未来に残せる形にするために立ち上げられたプロジェクトのひとつが「五稜箸」だったのです。那賀町には木頭を含む5つの地域があります。五稜箸の「稜」という字は、見慣れない字ですが、山の稜線(りょうせん)や、ものの角という意味があります。五稜箸の頭の部分は5角形の形で、「5つの地域を角、稜線に見立て、共通の地域資源を使って進行していく」という想いが込められています。
WOODHEADのお箸づくり
木頭の美しい川の流れを臨むWOODHEADの工場で作られる五稜箸。この建物の屋上で乾燥させた杉の芯材を加工してお箸が作られます。専用のお箸の製造機を通ったお箸は、一本一本強度を確かめられ、手に馴染むようにやすりをかけられます。取材している途中でもけっこうな頻度で折れていたので、お箸に使える芯材の希少さが伺えました。
松本さんを含むWOODHEADのメンバーは、家庭でも五稜箸を使われているそうです。
「五角形の五稜箸の形は手になじみ、豆腐やお米、野菜、肉などあらゆる料理を同じ力で掴むことができます。脳梗塞で使うことが出来なくなっていたお箸を使うことができるようになったと言う方もいらっしゃいます。また、杉の香りがとても心地よく、家での食事が楽しくなり外食が少なくなったという声もいただき、嬉しく思っています」と嬉しそうに語ります。
杉の芯材は、その豊富な油分と高い抗菌性のおかげで、洗剤やスポンジを使わなくても、使ったあとすぐに水でよく洗ってタオルかウェスで水気を拭き取ると、繰り返しいつまでも使うことができます。五稜箸を使い始めてから、食事のあとすぐに洗いものにいこうとするモチベーションに繋がるので、ある意味便利な機能のひとつです(笑)
山の未来について
五稜箸を含む様々な活動を通し、杉の有効活用を行い、その先にある「未来に残すべき山」の形はどのようなものなのか。その答えは、木頭の八幡神社と小・中学校が並ぶ山の上にあります。八幡神社にある大きな杉の傍ら。学校の校庭に植えられた小さな木。それらは、WOODHEADや地域の内外の人々が保全し、植林を行っている山桜です。
山桜と杉、元の木々が共存する山に
山桜は、木頭杉が植えられる前に木頭の山々にたくさん自生していた日本古来の桜で、花と葉が同時に出るのが特徴です。
松本さん「一般的な桜としてしられるソメイヨシノは、人工的に作られたもので、都会などの風景には良く合いますが、自然の山の風景にはやはり山桜が映えると思います。
僕が生まれたとき、木頭の山は杉に覆われていましたが、じいちゃん、ばあちゃんが、昔は山桜が綺麗だったと寂しそうに言うのを聞くと、その風景を見てみたくなります。桜は木材としても非常に高品質なものです。木頭杉を全部無くしてしまうことは違うと考えており、杉と、山桜を含む元々の山の雑木林がバランス良く生える山を作っていくことが大切だと考えています。
WOODHEADは現在、杉を伐採した場所に山桜を植林する活動を行っています。将来満開に咲いた山桜を見ながら、五稜箸でお花見を楽しむことが当面の目標です」。
現在同じような問題を抱えた山々は、日本に点在します。杉は水害の他にも、多くの人に花粉などの問題を引き起こす悩みの種でもありますが、同時に生活に欠かせない大切な木材であることも確かです。人の手が入っていない山に戻すのではなく、山と人、お互いが共存していける形に整えていくことが、これからの日本の里山の課題ではないかということを教えてくれた一善のお箸。使うたびにいろいろなことを考えながら使っています。