山奥で花を植え、
土地を守り、人を迎えつづける老人のストーリー
徳島県神山町の奥の中津集落。ここは林業が衰退した限界集落ですが、毎年早春に美しい蝋梅の花を見に、たくさんの人々が訪れる神通蝋梅園があります。この場所を造ったのは80歳を越える森 嘉敬さん。現在もたくさんの花を植え、訪れる人々を笑顔で迎えています。ここでは神通蝋梅園と中津集落、そして森さんのストーリーについて触れたいと思います。
神通蝋梅園 – 数百本の蝋梅が人々を癒す
神通蝋梅園は、数百本の蝋梅が植えられ、毎年1月下旬から2月初旬にかけて満開の蝋梅を見ることができます。蝋梅は淡い黄色で、甘く爽やかな香りの花です。専用の駐車場やトイレなども完備されています。
森さんがいらっしゃる時は暖まれるように火を焚いており、自慢の干し柿や蝋梅などの苗の販売も行っています。満開時の週末は臨時カフェがオープンしていることがあります。
草花が少なく寂しい季節ですが、ここに来ると冷たく澄み切った空気の中、優しく咲く蝋梅の花とその香りに、心が癒されます。
徳島県神山町 中津集落 – 林業が衰退した限界集落
蝋梅園があるのは、徳島県の中西部である神山町の中心部から車で約20-30分の距離にある上分地区の中津というのどかな集落です。かつては林業によって栄えた場所でしたが、輸入木材の普及と共に売れ行きが悪くなり、製材所が一軒も無くなるなるほど衰退しました。現在は周囲にそびえる山々、川のせせらぎ、茶畑や住宅が点在します。
森 嘉敬さん – 蝋梅園を作り土地と地域を守る花咲か爺さん
この場所を造り、管理する森 嘉敬さん。元々は蝋梅園がある土地で緑化木(道路に植えられている樹木)の販売や造園の商売をしていましたが、地域の林業の衰退と合わせて売り上げが減少し、廃業を余儀なくされたということです。
残った蝋梅をここに植えよう
残された土地をどう活用するかを考えたとき、商売で残ったたくさんの蝋梅の苗を植えようと思いつきました。土地いっぱいに200本の蝋梅を植えて花が咲き始めると、新聞や口コミによって少しずつ足を運ぶ人が増え、年々たくさんの人が訪れるようになりました。
「神山町の奥地でも皆さんが足を運んでくれると、町全体に人を呼び込め、地域に何らかの形で役に立てることが分かり、そこから面白くなりました」と森さんは言います。
そこから中津集落、上分地区を活性化させる活動を積極的に行うようになりました。
80歳を越えても斜面に花を植え続ける
1943年生まれ、80歳を越えた今でも急な斜面で木を切って整備し、そこにたくさんの花を植えています。蝋梅と同じ時期に花を咲かせるミツマタや、アサヒマダラという長距離移動する蝶の好物であるブジバカマという花を植え、10月に実際にたくさんのアサヒマダラを飛来させたこともありました。中津地区の別の場所にたくさんの桜を植える活動も行っています。
宿泊施設の運営
森さんは、同じ土地に古民家を改修した宿泊施設「堂治」を設けて貸し出しています。大人数で泊まれて、バーベキューやwifiを完備し、団体での合宿や家族での宿泊を歓迎しています。限界集落に人を呼び込むためのたくさんの工夫を1人でされています。
志を共有できる移住者
林業が衰退した限界集落である中津ですが、この地域を好きになって県外から移住してくる人々もいます。吉田さんご夫婦は埼玉県から神山町に移住し、森さんの活動をサポートしたり、蝋梅園や近くの満月イチョウというイチョウの名所で臨時カフェやイベントを開き、中津地区に人を呼び込むなど、森さんの意思を継いだ活動をしています。
秋に辺りを黄色く染める満月イチョウ。遠くから見ると満月のようにまんまるで、周辺に黄色い絨毯が作られます。この地域の秋の名所のひとつとなっています。中津にはキャンプ場もあり、自然を愛する人々が一年をかけて集まります。
「山の奥で頑張っている人達もたくさんいる」
山に面する中津地区は、鹿や猪の獣害に悩まされています。森さんはたくさんの花を植えつづけますが、桜などの苗木の柔らかい枝は鹿の好物です。植えた花の多くは被害に遭ってしまうことも珍しくありませんが、森さんはめげずに毎年たくさんの花を植え続けます。
森さんは「山の奥で頑張っている人もたくさんいるので、神通蝋梅園に遊びに来てくれたら非常にありがたいです」と笑い、神通蝋梅園で多くの人々を出迎えています。